高橋裕紀の初めてのワールドスーパーバイク(SBK)参戦は、ハードなスケジュールでのものとなった。5月29日、30日にイタリア・ミザノで行われたSBK合同テストに急きょ呼ばれたが、天気も悪く、チャビ・フォレスも来ていたため、ハーフウエットで1時間弱、ドライで20分ほど走っただけだった。チームとは、第2戦タイ・ブリラムにレオン・キャミア選手のサポートとして行ったときに会っているのでスタッフの顔も知っておりスムーズに走ることができていた。
イタリアからは6月1日(土)の夜に帰国し、3日(月)、4日(火)は、鈴鹿で8耐テストをこなし、5日(水)朝の飛行機で代役参戦のためスペインに向かった。ヘレス・サーキットは、2013年にMoto2で走って以来6年振り。天気もよく、MotoGPのときほどは入らないが、パドックには多くのお客さんが押しかけていた。
SBKに参戦するのは初めてだが、カトリカに住んでいたころにミザノとモンツァに見に行ったことがあった。モンツァは、今年、鈴鹿8耐で組むことになった小山選手と一緒に観戦に行っていた。
走り始めは、ミザノテストのときの走り終わりから、レオン選手のチーフメカニックがモリワキのメカニックと裕紀が好むセットについて話しをし、これくらいだろうという仕様で臨んだ。
フリープラクティス1からマシンセットを大きく振り、今のバイクの特性をつかみながら、よい部分を見出して行く。ミザノテストでブレーキングのスタビリティがよくなったこともあり、そこを活かす方向でセットを進めて行く。
セッション毎にタイムを縮めフリープラクティス3までのコンバインでは16番手につけた。スーパーポールでもタイムを縮めるものの順位は17番手と一つポジションを下げていた。
レース1は、スタートがまずまず決まり16番手につけていたが、2周目にブライドウェル選手に、3周目にデルビアンコ選手にかわされ18番手を走行。前を追いかけながら周回を重ね、レース終盤に勝負をしかけられるかと思っていたが、13周目の1コーナーでフロントから転倒。そのままリタイアとなってしまう。
そこから、またも大きくセットを変更し、日曜日のスーパーポールレースに臨んだ。僅か10周だけにソフト目のタイヤをチョイス。スタートよく飛び出した裕紀は、14番手につけると、4周目に前で転倒があり13番手。ブライドウェル選手にかわされ、かわってメルカド選手が下がってきたものの、かわすところまでは行けず14位でゴールした。
大幅に変更を続け、マシンの方向性が見えて来たため、レース2に向けても、さらにアジャストしてスターティンググリッドに向かった。またもスタートをうまく決めた裕紀は、15番手につけると、6周目に前で2台転倒し、13番手に浮上。レース終盤は、リッテルバーガー選手との差を詰めて行き、残り2周で勝負できるかと思っていたところ赤旗が提示され、レースは13位となりSBK初ポイントを獲得。第6戦スペインラウンドの代役参戦を終えることになった。
高橋裕紀「急きょレオン・キャミア選手の代役で参戦することになりましたが、レース1の転倒以外は、大きくセットを変更し、走る度にタイムを上げることができたので、少しでもチームに貢献するという目的は果たせたと思います。チームのバックアップも、すごく頼りになりましたし、真剣に向き合ってくれたことを感謝したいですね。久しぶりのヨーロッパでのレースの雰囲気はすばらしく感慨深いものがありました。最後にレオン選手の早期回復を心から祈ります」