2014年は全日本ロードレース選手権に復帰し、J-GP2クラスでモリワキレーシングチームとともにチャンピオン獲得を目指すことになった。
その新たなシーズンを前に、心境を高橋裕紀に聞いてみた。
──2014年の新体制決定、おめでとうございます。
「ありがとうございます。全日本選手権は10年ぶりの復帰ですが、初戦から表彰台を狙っていきたいですね」

──シーズン通しての目標は?
「もちろんチャンピオン獲得ですが、まずはマシンの開発ライダーとしてしっかり仕事して、モリワキさんとともにいいマシンに仕上げていきたいです。その結果として、世界戦の日本グランプリでワイルドカード参戦を果たして、いい成績を残す。それが2014年の目標です」
2005年にMotoGP世界選手権250ccクラスへレギュラー参戦してから9年間、世界の舞台で3度の優勝に輝いたが、辛苦も多かった。
2009年は最高峰クラスであるMotoGPクラスに初参戦したものの、リーマンショックによる世界的な不況の中、チーム事情によりシーズン途中でシートを失ってしまった。翌年新設されたMoto2クラスで1勝し、2011年に前年のチャンピオンチームに移籍する。この時のシャーシはチャンピオンを獲得したMORIWAKI製で前途洋々に見えたのだが、主流ではないサスペンションの開発が裏目に出たこともあって、チャンピオン争いどころかシーズン後半はポイントを獲得するのもやっとという状態だった。
さらに2012年は激戦化するMoto2クラスの中で、メカニカル的なトラブルを抱えたままシーズンのほとんどを費やしてしまう。なかなか結果を出せない日々が続く中、鈴鹿8時間耐久では「TOHO Racing with MORIWAKI」で、山口辰也選手・手島雄介選手とともに市販マシンで準優勝する快挙をなしとげた。
2013年は新たに発足した「IDEMITSU Honda Team Asia」のライダーとして奮闘するが、前半戦でポイント獲得をすることができず、当初の契約通り第12戦イギリスGPを最後にシートを失う。
──第12戦終了後は、今後どうなるのか心配するファンの声が多かったですね。
「本当にいろんな方にご心配かけてしまって申し訳なかったです。あの時は、自分でもどうなるのかわかりませんでした。マネージャーにはその後もいろんなチームと交渉してもらいましたが、いい条件の話はなかったんです」

──実績あるライダーでも持参金がないとシートを確保できない時代ですから、厳しい時代ですね。
「そうですね、実は引退も考えたんです。ここまで精一杯やってきたし、手を抜いたこともなかったし、それでこの結果なら仕方ないのではないかと。でも、周りのいろいろな方に相談したら、引退なんてとんでもないと怒られてしまいました」

──まだそんな年齢ではないと。
「それで、いろいろ考えてみたんです。自分の目指すものは何だったのか、これから自分は何を目指すべきなのか。考える時間だけはいっぱいありましたから(笑)。自分としては、世界一の夢をあきらめたくない。もし来年走ることができるなら、そこからまた上を目指していきたい。上を目指せる環境だったら、カテゴリーはどこでもいいと思いました」
J SPORTSで放送された「二輪モータースポーツ モリワキレーシング~日本から世界に挑む町工場~」では、高橋裕紀はこんなことを語っている。
「自分がまだ走れるんだという証明をしたい。その悔しさを共感できる人達と一緒にやれるんであれば、それがすごく大きな力になるんじゃないかと思いますね」
2010年にMoto2クラスで初代チャンピオンマシンのシャーシを製作したMORIWAKIも、採用してくれるチームが年々減少し、2014年はゼロとなった。このままでは終われない、という思いは高橋裕紀と一緒だ。自分たちの手で、再起をかけて全日本選手権で再出発し、もう一度世界を目指したい。そんな決意を持った2014年の全日本復帰なのである。